ポップでオリエンタルな香りのするメロディーが魅力的です。 大月さんもお気に入りの一曲で、劇場公演をするたびに アレンジを変えたりダンスナンバーにして毎回唄ってくれる曲です。 女の人生の悲喜こもごもを 華麗に描いた作品です。
鏡五郎さんが「ど根性」で日本全国をキャンペーンして ヒットさせ、カラオケのスタンダード曲になった作品です。 「苦労くの字に身を折られょうと 松の緑は天をさす」 20代後半で よくこんな詞が書けたものだと不思議な気がします!
天童よしみさんにも、ホントにたくさん作品を書きました。 『北海めおと節』は、ちびッ子のど自慢でとても人気のあった曲で、 この曲を唄ってチャンピオンになり、プロ歌手になった人が たくさんいます。鹿島ひろ美さんもそのひとりです。
アイドル的な人気のあった山本譲二さんが ちょうど結婚するという年に発売された作品です。 日本作詩大賞も当時はNHKホールで行われてました。 はじめてスターと一緒の出演、嬉しかったですね。
北原謙二さんとは赤坂東急ホテル最上階のバーで よく呑みました。 不思議なご縁があったのか、新幹線や地方のホテルで ばったりお会いすることがよくありました。 いつでも お酒を片手に持ってらっしゃったのが とても印象的です。
水木れいじとして初めて書いた演歌です。 私が高校生の頃、テレビで見て天才少女だと思った あの天童よしみさんのために綴った詩ですが ここまで見事に表現してくれる歌い手さんに出逢えたんだと レコーディングされたテープを聴きながら その夜、布団をかぶって男泣きした思い出の作品です!
水木れいじになって、わずか一年目に 裕次郎さんのシングル盤を書かせてもらえたなんて… 今にして思えば 本当にラッキーだったですネ! 裕次郎さんファンには、今でもよくカラオケで歌われています。
『氷雨』に続く第2弾という事もあり、 美歌ちゃんのパワーのおかげで かなりヒットした曲です。 若い女性にとても人気がありました。 この頃は レコードが30〜50万枚と軽く売れる時代でした。
山川さんの事務所の長良じゅん会長が 「表紙のちぎれた歌本ひらき しんみり演歌唄う奴」という書き出しを とても褒めてくださって、一年坊主の私が ほんの少しだけ自信を持つ事ができた懐かしい作品です。
いわずと知れた浜圭介先生の奥様、奥村チヨさんに 初めて書いた作品です。 奥村チヨさんは僕が少年時代から大スターでしたが、 水木れいじに成り立ての頃、とても可愛いがっていただいた 楽しい想い出がいっぱいです。
よく見ると作詞名が本名の「葛原直樹」になっています。 実際にこの詞を書いたのは、発売されるよりもかなり前で、 大学2年生の頃に走り書きしたもの、 作曲はジャッキー吉川とブルー・コメッツのキーボード奏者 小田啓義先生でした。